声と月

 悲しいことに、誰かの歌を聴くことが辛い時がある。音楽を聴きたくて、孤独は嫌だと思いながらも、曲を永遠にスキップし続けることがある。

 幸運なことに、自分の録音した声や歌は耐えられた。多分それは、上手い歌じゃないからで、ホワイトノイズの多い、不安定でゆらゆらとした何かだからだ。美しいものは毒にもなるから、醜いものを取り込んで、私は自分をなんとか保たれようとしたりしているのかも。ギターと声だけの世界が、ギリギリのラインになる。音楽が好きなのに、音を愛しているのに、私はそれにすら怯えているときがある。

 

 月の写真をスマホで撮るのが苦手だ。自分の目に映る月が好きだ。君が見ている月が、私の見ている月と同じかどうかなんて一生わからないから好きだ。冬の月が好きだ、冴えている、寛厳という言葉を思い出す。君の声みたいだ、君の言葉みたいだ、と思い出す君の全てについて、恋だと勝手に想像した誰かが憎い。3月の月は甘い匂いがする、生まれたての匂いがする。三日月を見ると3歳くらいの頃の記憶に包まれる。月が私に与えるのは寂しさを1人で乗り越えるだけの思い出たちと、目を潰すことのない光だ。遠い遠い記憶を少しづつ溶かして、飲み込んでいくことを許されている。月という言葉を引き金にして私から溢れ出す全ての言葉や音、存在を知らないまま「月が綺麗ですね」は“I love you.”になった。月を見てアイラブユーだなんて思わないで生きてきたことを、何一つ恥じたりなんてしない、教養なんて殴り捨ててしまうくらいに、月に囚われている、望んでいる。美しく月を撮ることなんて、本当はどうだっていい、いっそ、月を描きたいと思った。論理よりも優先してしまいたいことなんて山ほどあるのに、「月が綺麗だよ」と言えなくなった。その美しさは愛のためにあるわけじゃないのにと言いながら、全ては愛のためにあると言いたくなる時が来る。そういう乱雑さを憎んで生きることが、その乱雑さを持たないことが、本当は必要だとなんとなく言われた気がした。

 

 月が綺麗だ、誰も目を覚ますことのない夜なんてない、私が見ている月を、同じように誰かも見ているだろう、それが苦しかった。同じ月を見ているなんて、誰が言うんだろう。

 

 桜が綺麗だ、音楽は素晴らしい、風の温度が上がっていく、私の髪の毛はまだ秋の匂いがして、夜が明けていく。遡れば遡るほど幼くてかなしい声がある。変わらないね、という変化を確実に知っている誰かのつぶやきを、簡単に受け取ることができない。永遠は来ない。

 

 

29-Mar.-2023 3:37