窓辺の花に水をやって。

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この20年間多くの時間喪失感と一緒にいたし自分の浅はかさと猜疑心のせいで必要以上に諍いを生んだし、なぜ生きているのか、と思う。

残念なことに親の愛すら疑っているのに、恋愛や友情を安心して育んだりできるわけもなくて、ただなんとなくどこかで孤独なまま、曖昧に繋げた悲痛や傷の連帯を繰り返している。自分にとって唯一だと信じていても、相手にはもっと大切な存在がある。そういう事実がときどき苦しくて、居場所がわからなくなる。目を背けたい。いろんな現実から遠ざかって、もうおしまいになりたい。あの子には、君には、親友がいて、恋人がいて、仲間がいる。私は永遠に抱けないたくさんのものを持って、君は笑っている。

窓辺の花が枯れているの。

ずっと前から世界の色がわからない。

こうなった理由って何。父さんのせい?わたしが好きだった先輩のせい?信じていたけど大切にどころかいいように利用されてたんじゃないかなんて思うよ。誰もわたしのことを1番にしてくれなかったって思ってるのはわたしが悪い?客観的な意見なんてどこにもなくて、「みんな誰かに愛されている」という嘘つきばかりの世界だ。かみさまが愛してくれていても、かみさまはそれを教えてはくれない。示してくれないと何もわかんないよ。誰かに1番にしてもらえて、1番安心できて、そんな世界はどこにもないしずっと緊張してる、君にはわからない、君は愛されているから。そうやって思っているよ。君が心底羨ましいんだよ。信じる神様がいて、愛する家族がいる君が心底羨ましくて、羨んでいる私がひどく惨めだ。君と違って、私は何も信じられないままでここに立っている。愛する家族がいる人が羨ましい。私はどうやって家族を愛したらいいのかわからない。きっとみんなが死んでも、ちょっと悲しいだけなのかもと思うくらい。

 


20年やそこらっていうけど、リヴァーは23で、海子は25で、ཚེ་དབང་ནོར་བུ་も25で、多くのロックアーティストは27で死んだよ。と思う。あの人たちのように何かを残せないのなら、余計に、生きていく理由や意味を作れない。何も残せない人間が生きるより、彼らが生きていてくれた方が良かったのにと思う。意味を見出せなかったなら23で死ぬつもりでいるし、なにより、誰かから悼んでもらえるような人生じゃない。

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