覚書

 

2023.10.05 0:41-

 

この世の全ての愛をもらったとしても、あたしは結局、誰も信じられないのかもしれない。どうしたらいいのだろうと思うし、真実、お医者さまに見てもらったほうがいい。あのさ、他人と話す時に砕けた崩れた言葉を使うけれど、本当はもっと自分の感情に沿った言葉が使いたい。あたしにどれだけ愛を示しても砂漠に水をやるみたいで、疲れてしまうらしい。そんなことを言われても、あたしだってなぜだかわからない。でも、自分と向かい合う誰かがそう感じているのだと知って、あたしは早く死にたくなった。こんなことを言うべきではないのだ、と思いながら、言わないとおかしくなってしまいそう。恋人がいる知り合いが羨ましいのは、愛情を注いだり注がれたりすることに疑いを持っていなさそうに見える、どうしようもなく幸せそうな笑顔が見えてしまったからで、それから、誰かを普通に愛することもままならないあたしはどうしたらいいのだろうと狼狽えてしまった。通り過ぎていく子どもが母親を呼びながらよたよたと駆けていくとき、あたしは泣いてしまった。あの子みたいに無条件に愛してもらえていると信じて駆け寄れる存在がいたらよかったのに。いたはずで、いる気もするのに、探してもどこにもいない。自傷行為は見苦しいことだ、と脳の半分では思っているし、もう大人になるのだからそんなことをしても何も生まれないことを知っている。ケロイドなんて誰も見ていないのだ。傷があるからって誰かに許しを与えてもらえたり、悲しみを癒してもらえるわけでもない。誰かが物語のように守ってくれるわけでも、代わりに泣いてくれるわけでも、痛みが共有されるわけでもない。期待しないほうがいい、期待できるような物事ではない。自分で自分の機嫌を取らないといけないのに、自分のことなんて癒すくらいなら無茶苦茶に壊してやりたかった。何一つ残らないくらいぐちゃぐちゃになったほうがマシだと思っている。死ねてないのは下手に迷惑をかけてもっと嫌われるのは嫌だから。こう言うことを言うひとはみんな長生きするんだと言われるけれど、50年生きてもきっと誰もそばにいないのだから、別にもうなんだっていい。いっそもう二度とそばに誰もいなくていいから天才になりたい。天才になったらきっと誰かがあたしのことを間違って愛おしく思ってくれるんじゃないかと思った。あたしが死んじゃったりしたら悲しむ人がいる、とかそう言うのはずっといらなくて、どうでもよくて、そんなの知らないよ。そうやって自分たちのことを慰めてもう一度結びつきを作るための出来事にされたくはなかった。どうせ1番にしてくれないのに、勝手に悲しむなんてなんて酷いんだ。生まれつきあたしは欠陥品で、ほんとうはあたしが途中で死んでおくべきだったんだよ。愛されると言うことに憧憬を抱くべきではないのに、執着に近い何かに突き動かされている。死んでもいい、なんだって構わないから一度だけ本当に信じられることがあったらいいのに。あたしが壊れていて、あたしがだめなのはわかっているのに。夢みたいに誰かを愛したかった。