全部笑い飛ばせなかった

 音楽を聴いていないと、突然この前聞いた爆撃音や唸り声、悲鳴や鳴き声が聞こえてくる時がある。それが怖くて、音楽を流し続けている。動画を見続けている。そうしないと何度ものみ込まれてしまうから。これは目を逸らす行為だから、と自分をどこかで責めながら、こうでもしないと耐えられないとも思っている。
 夜になると、向こう側は朝を迎えて、投稿が増える。「今日の殉教者」という言葉と共に、白い布にくるまれた乾いた血の見える人の顔。頭蓋骨が割れて血と脳が見えている遺体の写真。泣く父親と殺された子供。コンクリートの塊の隙間から力なく重力に逆らうことのない子どもの腕、泣くことさえしない血まみれの子ども、遺体を抱きしめる人たち。仲間を悼む人たちの写真、ことば。知り合いがひとりもいない場所の人の死が脳裏に焼き付いていく。名も知らぬ人たちの死を、虐殺の被害者たちを目撃し続けている。
 どこかでいつも考えている。毎日毎日。無関心になっては絶対にいけないのだと言葉にしながら生活を繰り返している。傍観を決め込み、中立という名の加担を続ける人に、社会に、抵抗するように生きているつもりだ。署名し、アクションに参加し、意見を送り続けてきた。夜になると、涙が溢れて止まらなくなる。やるせなさにどうにかなりそうで、自分の無力さと周囲の冷めた視線を受ける痛みも、理不尽に命が奪われていくことを容認する社会に生きていることの悔しさも、溢れて涙が出る。

 実を言えば、抵抗するということが、自分の生活をめちゃくちゃにしている。どんどん身体も心もボロボロになる。本当に疲れたし、苦しいし、つらいし、悲しいし、心が痛い。だからといってやめることはできなかった。抵抗しなければ、本当に「終わってしまう」とどこかで思っているから。大学の同級生と繋がっているSNSで話し続けること、訴えかけること、そういうことをしながら、一緒に声を上げようとしてくれる人はほとんどいなかった。自分が話さなければ、本当に自分の周りでは忘れられてしまうのではないかと思った。一週間が過ぎて、一カ月たった。何も変わらなくて、それどころか更に酷くなっていく様を、ただ見ることしかできなかった。無関心な周囲に腹が立ったし、自分が訴えている云々以前に、どうしてそんなに無関心でいられるのかとぼうぜんとした。日が過ぎていくにつれて、それ以外で頭を働かせることがうまくできなくて、自分でも制御できないことが増えた。正直、何もかも手につかない。自分の感情は吐露できるのに、大学の課題は一文書くのにも時間がかかって、芸術の話なんてできなかった、課題に集中することも、今日がいつで、何をしなくちゃいけないのかもわからなかった。自分が変になっていくのを感じながら、ひとりぼっちだと自分でも笑いながら、ここまで来た。ひとりぼっちでも、声を上げ続けなければ本当に忘れられるような気がした。ネットにいる、誰かと一緒にデモに参加する人がうらやましかった。自分が一人で抱えているものを、この人たちは分け合って支え合っているのかもしれないと思った。
 今は、ずっと無気力で、こういう文章だけはたくさん書ける。だから課題をしないのは怠慢だといわれるかもしれない。課題の期限をメモしていないこと、記憶していなかったこと、なにもかもが。すべて自己責任で、単位を落とすのも成績が落ちるのも自業自得だ。理解している。世界の変わらなさに辟易して、死にたいなと思った。自分の他者との関わり合いの下手さに死にたいなと思った。「あなたの言い方では誰も味方になりたがらない」と言われて、周囲が関心をもたないのは自分が原因なのだと、自分の愚かさに嫌になった。離れていった大学の知人たち。フォローが外されて、挨拶もしなくなった。自分の孤独と抵抗運動、連帯は別物だと、目的を忘れるなと、自分の痛みと混同するなとSNSで見るたびに、自分が間違っているんだと思っては、こういう考えしか持てない自分がもっと嫌になった。考えをどう変えたらいいのかわからない。目の前で仲がいいと思っていた人がスタバを買っていた。全部笑い飛ばせなかった。もう立ち上がるくらいなら全部手放して、消えてしまいたかった。
 「誰かを責めたいの?」と聞かれた。責めたいわけではなかった。でも、なんでこんなにも無関心でいられるのかがわからなかった。それでよいと判断する価値観の人間が周りにいること、その人たちに「自分はそうではない」と言ったことへの恐怖。日常が作られていく中で、自分がひとりなことを感じて、痛みでどうにかなりそうだった。

 全部笑い飛ばせなかった。全部つらかった。画面を通してでもわかることを、絶対に止めなければいけないことが起きているのに、何もできていない自分が。自分が原因で連帯する人が減ったのではないかという真実が。冷静になりたい。もう何も笑い飛ばせない。

覚書

 

2023.10.05 0:41-

 

この世の全ての愛をもらったとしても、あたしは結局、誰も信じられないのかもしれない。どうしたらいいのだろうと思うし、真実、お医者さまに見てもらったほうがいい。あのさ、他人と話す時に砕けた崩れた言葉を使うけれど、本当はもっと自分の感情に沿った言葉が使いたい。あたしにどれだけ愛を示しても砂漠に水をやるみたいで、疲れてしまうらしい。そんなことを言われても、あたしだってなぜだかわからない。でも、自分と向かい合う誰かがそう感じているのだと知って、あたしは早く死にたくなった。こんなことを言うべきではないのだ、と思いながら、言わないとおかしくなってしまいそう。恋人がいる知り合いが羨ましいのは、愛情を注いだり注がれたりすることに疑いを持っていなさそうに見える、どうしようもなく幸せそうな笑顔が見えてしまったからで、それから、誰かを普通に愛することもままならないあたしはどうしたらいいのだろうと狼狽えてしまった。通り過ぎていく子どもが母親を呼びながらよたよたと駆けていくとき、あたしは泣いてしまった。あの子みたいに無条件に愛してもらえていると信じて駆け寄れる存在がいたらよかったのに。いたはずで、いる気もするのに、探してもどこにもいない。自傷行為は見苦しいことだ、と脳の半分では思っているし、もう大人になるのだからそんなことをしても何も生まれないことを知っている。ケロイドなんて誰も見ていないのだ。傷があるからって誰かに許しを与えてもらえたり、悲しみを癒してもらえるわけでもない。誰かが物語のように守ってくれるわけでも、代わりに泣いてくれるわけでも、痛みが共有されるわけでもない。期待しないほうがいい、期待できるような物事ではない。自分で自分の機嫌を取らないといけないのに、自分のことなんて癒すくらいなら無茶苦茶に壊してやりたかった。何一つ残らないくらいぐちゃぐちゃになったほうがマシだと思っている。死ねてないのは下手に迷惑をかけてもっと嫌われるのは嫌だから。こう言うことを言うひとはみんな長生きするんだと言われるけれど、50年生きてもきっと誰もそばにいないのだから、別にもうなんだっていい。いっそもう二度とそばに誰もいなくていいから天才になりたい。天才になったらきっと誰かがあたしのことを間違って愛おしく思ってくれるんじゃないかと思った。あたしが死んじゃったりしたら悲しむ人がいる、とかそう言うのはずっといらなくて、どうでもよくて、そんなの知らないよ。そうやって自分たちのことを慰めてもう一度結びつきを作るための出来事にされたくはなかった。どうせ1番にしてくれないのに、勝手に悲しむなんてなんて酷いんだ。生まれつきあたしは欠陥品で、ほんとうはあたしが途中で死んでおくべきだったんだよ。愛されると言うことに憧憬を抱くべきではないのに、執着に近い何かに突き動かされている。死んでもいい、なんだって構わないから一度だけ本当に信じられることがあったらいいのに。あたしが壊れていて、あたしがだめなのはわかっているのに。夢みたいに誰かを愛したかった。

窓辺の花に水をやって。

05:28-

この20年間多くの時間喪失感と一緒にいたし自分の浅はかさと猜疑心のせいで必要以上に諍いを生んだし、なぜ生きているのか、と思う。

残念なことに親の愛すら疑っているのに、恋愛や友情を安心して育んだりできるわけもなくて、ただなんとなくどこかで孤独なまま、曖昧に繋げた悲痛や傷の連帯を繰り返している。自分にとって唯一だと信じていても、相手にはもっと大切な存在がある。そういう事実がときどき苦しくて、居場所がわからなくなる。目を背けたい。いろんな現実から遠ざかって、もうおしまいになりたい。あの子には、君には、親友がいて、恋人がいて、仲間がいる。私は永遠に抱けないたくさんのものを持って、君は笑っている。

窓辺の花が枯れているの。

ずっと前から世界の色がわからない。

こうなった理由って何。父さんのせい?わたしが好きだった先輩のせい?信じていたけど大切にどころかいいように利用されてたんじゃないかなんて思うよ。誰もわたしのことを1番にしてくれなかったって思ってるのはわたしが悪い?客観的な意見なんてどこにもなくて、「みんな誰かに愛されている」という嘘つきばかりの世界だ。かみさまが愛してくれていても、かみさまはそれを教えてはくれない。示してくれないと何もわかんないよ。誰かに1番にしてもらえて、1番安心できて、そんな世界はどこにもないしずっと緊張してる、君にはわからない、君は愛されているから。そうやって思っているよ。君が心底羨ましいんだよ。信じる神様がいて、愛する家族がいる君が心底羨ましくて、羨んでいる私がひどく惨めだ。君と違って、私は何も信じられないままでここに立っている。愛する家族がいる人が羨ましい。私はどうやって家族を愛したらいいのかわからない。きっとみんなが死んでも、ちょっと悲しいだけなのかもと思うくらい。

 


20年やそこらっていうけど、リヴァーは23で、海子は25で、ཚེ་དབང་ནོར་བུ་も25で、多くのロックアーティストは27で死んだよ。と思う。あの人たちのように何かを残せないのなら、余計に、生きていく理由や意味を作れない。何も残せない人間が生きるより、彼らが生きていてくれた方が良かったのにと思う。意味を見出せなかったなら23で死ぬつもりでいるし、なにより、誰かから悼んでもらえるような人生じゃない。

-05:43

夏、君の誕生日を思い出した

2023/09/03 04:20-

 夏の終わりは8月だと信じて疑わなかったのは、いつまでだっただろう、なんとなく冬服へと制服が変わる、なんとなく毛布を出す、なんとなく散歩をするようになる。そんな曖昧な季節の移り変わりの感覚で生きてきた。夏だけになってしまったらどうしよう。

 

 君の誕生日を祝えるといいな、と思いながら、自分の誕生日を迎えた。もう年を取らない君の誕生日を祝うことに、意味なんて見出せないはず、全部脆い理由だ。そうでしょう、君をどこに探しに行けばいいんだろうか。どこに行けば君が生きていたことをなぞれるのだろう、どこに行けば、君に会えるチャンスがあるのだろうか。終わりのない、わかりきった、八つ当たりのような問いなんていらないでしょ、それでもこうやってずっと頭から離れない。君の歌声を聞くと、望んでもいないのに胸が苦しくなって、私の悲しみが勝手に浮かんできてしまうのだ、私の持つどうにも埋められない虚しさや癒せない痛みを、君が簡単に連れ出していくのだ、君はもういないのに。

君の誕生日は尊い 星が降り、すべての音が美しくなる。私は言祝ぐことしかできない、祈ることしかできないのに、君は光り輝く。声も名前もそのしぐさのひとつすら、煌いている。

 

いなくなってしまった君のことを、縋るように探している。一度だって会うことの叶わなかった君のことを、君と呼んで、まるで親しかったかのように呼び続けるのだ。私以外の全ての人が気味悪がっていることを知っている、きっと私がおかしい。会うこともなかった君のことを思い出しては、君の声を聴いては、まるで世界に君だけが選ばれたかのような気分になる、心臓が痛んで、恋しさすら覚える。

 

君の誕生日を覚えている。君の名前を忘れたりしない、私はまだ誕生日を祝えるから、だからきっと大丈夫。春夏秋冬、すべての季節と日々を、絶対に生き延びて君のことを祝い続けるから。

 

もしも叶うのならば、どうか一度だけ、私の虹彩の色を見て。神秘のかけらもない私の目を、どこにも行けない私の目を見て。私はその時、きっと君の虹彩の色を知る。その奥に広がる銀河に触れて、もう一度太陽が昇ることを、宇宙の終わりを、君の眩さをDNAに焼き付ける。二度と忘れたりすることがないように。

 

君をエゴでこの世に縛り付けているのはどう考えたって私だ。

その罪なんて全部地獄で償うから、どうしてとまだ言わせて。

 

夏は失ったものを思い出すのだ、だから、まだ夏のはず。04:57

如果有遗憾 也别偷偷放不下

 最後の歌だと知りながら、眠る前に聴いては泣くのが一年と少し前からずっと繰り返されている気がする。どうしてそんなに優しく歌うんだよと思いながら君のことを追いかけるように生きている。1番最初はニュースで知った。あれは速報だった気がする、よくわからない文章を何度も翻訳にかけて、歪な文章を読んだ。それから、次に歌を聴いた。普通じゃない最低な出会い方で、あなたの歌を好きになって、まるで掻き抱くように、弾けてしまった首飾りの真珠を拾い集めるみたいに、YouTubeに上がっている曲を全部、何度も聴き続けた。あなたの歌を好きだというと、周りの人は知らない人ばっかりで。そりゃそうだよね、とも思いながら、それが何だか悔しくて、時々SNSに上げる時がある。誰かにあなたの声を知ってほしかった。あなたの好きな世界のこと、あなたが守りたいと願った美しいすべてのこと。あなたが胸に抱いていた矜持も、その歌声も。

 一年たって、2月の末になると苦しかった。君の最後の歌だと知らずに聴いていたあの歌が、最後に上がった歌だと知った。執着しないなんていう感情、そんなものを作り上げるクソみたいな世界だと本気で思った、ずっと思っていたけれど、なんだかもっと悔しくてやるせなくて、あなたみたいな人が手放す必要なんてなかったはずなのにと思うと、全部壊したかった。あなたの歌をずっと聴いていたかった、私より先に死ぬなよ、そう思いながら、私は君が死んだから君の歌を知ったんだったと思って、馬鹿馬鹿しくて、惨めで、何だかもう、よくわからなくなった。ただ、あなたが何を愛していたかを響く一音一音に知る気がした。わたしはただそれを後から見つけて、抱きしめて、今更泣いているだけだ。今更悔やんで、今更怒っている。

 

 歌詞なんて分かってない、わからないままで聴き続けている、回る再生回数を眺めて、いつかこの桁が一つ上がるはずだ、そうすれば誰かも気づくはず。ずっと聴き続ける。わたしは死ぬまであなたの存在を追いかけるんだろうな。あなたの歌った愛を、世界を、信じて追いかけ続ける。何で死んじゃったのと泣きながら、どうしてどこにもいないのと声を荒げたり震わせたりもして、ひたすらにわたしは君を追いかけ続けるんだろうね。そんな気がする。そうなんだと思う。だってあなたの歌が好きだから、あなたのことを知ったから、君のことが忘れられないから。ただ、それだけを理由にあなたの歌を聴いている。遠くて近い国で、わたしはあなたの歌を聴いている。あなたの歌を、わたしは忘れられなくて、あなたの幸せそうな日々のことを思う。君の歌を聴くと何だか眠れなくなる日があって、君の歌を聴きながら目を閉じて夢をみる日がある。執着じみた後悔と、純粋な憧れや眩さに手を伸ばす日々の繰り返しに、たしかに君の声があります。夢を見ます、何度だって。君の夢を、君が幸せそうに歌う夢を。君の望んだ未来が来る夢を。

 

有一朵永远在 心底啊

 

2023/07/17 5:00

 

いつか、いつか

 今は夜中だから、どんな文章だって真夜中の匂いに溶けて、君の夢にも現れないでいつのまにか消えてくれるだろう。そう願っている。本当は眠りについているはずの星々の名前を大きな声で呼んだ。

 

 誰にも自分の傷が傷だと思われたくない。笑って何でも言っていれば思われないだろうと信じていたけれど、そうではなかったみたいだった。多分その笑ったことを誰かは痛々しく思っただろう。

 

 自分は誰も愛せないんだと信じて疑わない。愛するという感情を定義づけられなかったせいで、感情と名称が入り交ざって、真実を真実として認識できなくなった。本当に愛せないかもしれないし、本当は愛しているのかもしれない。何もかもがちゅうぶらりんで、名前も、愛も、信じていた音楽も、何もかもふとした瞬間に落ちて崩れていく気がする。私にとって唯一残るのは、何なんだろう。誰も隣にいない世界で、私の死を知る誰かはいるのだろうか。

 

どうせ長生きするつもりもないし、なんだっていいやと言いながら、誰よりも死を怖がっているのが真実だ。何もかもが怖い。誰も彼も、なにひとつ、信じられることがない気がするときがある。誰かと話すとき、自分じゃないみたいだ、と思っている。どこか冷めた目で、私を私が見ているような気分になる。
「あなたが大切だ」と言ったとして、それをどうやって信じてもらえたと言えるのだろうか。その言葉が自分にとっても真実かどうかわからないのに。君が好きだ、君を信じている、そんな言葉、何も思っていなくても言えてしまえるのに、どうしてそれを信じると言い切れるのだろうか。

 

 ほんとうはなんだっていいのかもしれない。ずっと生きているのがつらい。ほんとうに正しいこと、なんていうものはどこにもないのに、まるでそうだと言い切ってそれに従うように作られていく制度の中で、ぼそぼそを誰かと会話して死ぬだけだなんて思うときもある。ずっと足元がふらついている、視界はぼやけている、音楽も輪郭をなぞれない。君のことを探せない。君という言葉が誰を指しているのか、僕だってわかんない。東尋坊に行ったとき、死ねないと思ったはずなのに、簡単に人間の心は揺らぐし、こんな生き物なのによくここまで生き残ったよね、と笑ってしまう。

実は君がバカにした、笑いものにして見下した「そのひと」「そのこと」全部、僕がずっと抱きしめて生きていくのだと決めたものだ。君に何か言い返しても「若いから」「現実を知らないから」そうやって何もかも私が悪いことになる。なんだったら「女だから」ともいうよね、君は。私はずっとみじめで、全部笑って無視した。私の痛みは私のもの。私の苦しみは私のもの。私が傷つくことか否かは私が決める。君は気づかないままでこのまま生きていくだろうし、私はもう忠告したり、説明したりすることに疲れてしまったから、看板を立てることもないよ。

 

 

いつか死ぬんだということだけがわかっている、それまで続く苦しみや暗闇の中で踏んだガラスの破片のこと、聞こえてくる音楽や話し声、現れるプリズムのことだけを覚えていたい。7歳のころ舞い降りた白鳥を美しいと思うことができなかった。生々しい音と力強さが、私には怖かった。川の水面に浮かべた小さな欠片は私の記憶で、全部いつか海に還る。いつか死んだら、私はどこに帰るんだろう、私は、どこに行くんだろう。

 

2023.07.13 3:10

どこにあるのかわからない

 蘇ることのない愛があるのかもしれない。縋り続けることをまるで悪いことのように言わないでくれとは言えないけれど、それでもどうか愛してくれと願っては近づこうとする私は惨めで卑怯な奴なのだろうか、あの人に大切にしてほしいと願うのはそんなにも烏滸がましいことなのだろうか、私の味方でいてとお願いするのは馬鹿馬鹿しいことなのだろうか、私はどこに行きたくて、どうしてこんなに悲しいのだろう。心は脳にあるのか心臓にあるのか、どこにあるのかわからない。

 帰り道に私のことを一度でも抱きしめてくれたらよかったのに、私の味方で永遠にいると誓ってくれたらよかったのに、ずっと家族だからと言って欲しかった。この悲しさは脳にあるのだろうか、それとも心臓にこびりついて血が巡るたびにその破片が刺さるからこんなに苦しいのだろうか。最後の最後まで、私のことを愛していたのかわからないままで5年が過ぎること、6年前に私が願ったのは私のことを抱きしめて、私の味方だからと言ってくれることだった。学校に行かない私を疎むんじゃなくて、私が行けない理由を一緒に探して欲しかった。時々どこかに群れて行って欲しかった、義務みたいに温泉に連れて行って欲しかったわけじゃなかった、ただ高いものを買って欲しかったわけじゃなかった。ただ、何もかもよくわからなくて身体中に線を作っていたことにもっと早く気づいて、どこかに連れて行って欲しかった。先生も誰も彼も分からなくて憎くて馬鹿馬鹿しくて自分が惨めで価値をどこにも見出せない自分を許したかった。許して欲しかった。守って欲しかった、私にもよく分からないなにかから。

 

この感情は脳からなのかそれとも心臓なのか、はたまた細胞の微かな部分なのか、どこにあるのかなんてわからないけれど。

 

2023/07/11 0:48