棘に毒

 本当に苦しい時こそ助けてとは言えなくて、それでも話を聞いてほしいから連絡を取ってみたりする。そんな遠回しなことばかりするから、誰にも気づかれないし、そうやって求めた相手は別に自分のことを特別に思っていないから優先されることはもちろんない。当たり前のことで、もう既に知ってることだから、いつも適当に連絡する。自分が傷つくというリスクを背負いたくないのに他人に助けてほしいなんて、酷く自分勝手な奴だな、と書いていて思う。

 これを読んだからって突然優しくなられても困る。期待してしまうから、そんな甘いことはしないでほしい。自分の孤独感や虚無感も、苦しさも何もかも、ほとんどが信頼や自信でしか埋まらないと知っているから。チョコレートじゃ壁の穴は埋まらないでしょう、僕たちは既に、その真理を知っている。こんなことをここに書けるのは、当の本人にはきっとこんな暗がりの奥にある文章なんて読まないから。そう、でも、もしこの文章に辿り着いてしまったとしたら、僕はきっと、連絡を二度としないようにするだろう。君の自惚れの餌になりたくはないし、そんなことが起きてしまったら本当に誰にも連絡を取れない気すらする。

 

 本当の幸福な物語は、君が守られる話の中で、僕が君のために死ぬことだ。もしくは君の知らない間に君の知らない僕が死んでしまうこと。2人組を作る時、1番最初に僕の名前を呼ぶ人がいないことに慣れて、悲しくなることは無くなった。自分が誰の特別でも無いという確信がある。何百何千回と試し行動をしてもそれは変わらなかった。砂漠に水をやるようなものだから、いつのまにか周りにいた人は消えてしまった。花が咲かないから、花の咲かない苗は手放せばいい。納得する、そうだ、花が咲かないんだから君がそばにいなくて当然だ、と本当に受け止めてしまえる。僕の良いところはそこで、そしてそれでもまだ縋ろうとするところは僕の非常に悪いところだ。

 君には君の人生があるから、優先するものが違うから、こういう結末になるのは当たり前のことだし、それをどうこうしたいとは思わないから、それはそれで薄情な奴なのだと思う。

 

 ようやく、やっと、あの子が恋をよくする理由がなんとなくわかった気がした。

もし僕が恋愛をするなら、それはきっと、本当に大切にされていると錯覚できるからだ。体温に救われてしまえるからだ。まるで本当に自分のことを愛しているかのように感じてしまえる。虚が満たされるような気分になる。その瞬間だけは、自分の価値を信じても許される気分になるからだ。手が触れた時、自分とは違う体温を持つ誰かが、自分を愛してくれていると信じられる気がするからだ。一番の味方で、特別で、そういう肩書きを得ることができると期待してしまえる。その空白が生まれる。

 同時に生まれるその期待や安心の数倍以上の不信や不安に蝕まれながら、満ち欠けを繰り返す。気づいてしまっていたとしても、そこから目を逸らし続けるだろう。僕が見つめるべきは自分自身であって、僕に必要なのは恋人じゃなくて、精神科医心療内科医だ。どこまでも、それだけが真実だ。

 

抱えた言葉は全て飲み込んで、明るくて眩い感情ばかりを集めてポリスチレンを着色する。僕の花は咲いているんだ、咲かなかったわけじゃない、咲く花の種類が違うだけだ。

 

あのね、この花の棘には毒があるから。君はもうこれ以上その棘に触れちゃダメだ。