最初から大きな泥団子なんて作っちゃダメだと昔言われたのを思い出した。欠けた時に直すのがもっと大変になるんだよと。前々からあったものがなくなることは、とても大きな喪失や苦痛を伴うこと、その痛みについて口にすることもできずに笑って通すことにつながっている。全部、最初からダメだったってことかもしれない。
「頑張ります」とバイト先で言うとき、本気でそう思ってる中でどこか「や、頑張るのはいいんですけど、なんかもう一旦死んでもいいっすか?」みたいな気持ちにもなる。とはいえ、本当に頑張ったことなんてない、実は。いつも適当でなあなあに生きてるから、ボロが出て、みんなが生き残るような当たり前の場所で野垂れ死ぬのだろうと思っている。
大学生だから頑張るだけだよ、勉強が好きだ、でももう死んでしまいたい、「押しつぶされているという感覚を持っている時点で、もうダメなんだよ」とずっと脳裏から囁き声が聞こえる。なんでここにいるんだろう。なんのためにここまで生きてきたんだろう。
一般的に大多数として生きてる人間は、毎晩こんなことを考えながら暗鬱とした救いようのない言葉をわざわざこんなふうにどこかに投げ込んだりするのだろうか。死ぬのが怖いのに死にたいと思い続ける馬鹿馬鹿しい日々が来ない人になりたい。自死しない理由が死ぬのが怖いなんて、なんて健康的でまともなんだろう。いっそ早くダメになりたい。本当にダメになったら、薬でも飲んで死ねばいいから。死ぬのが怖いなんて思わなくて済むんじゃないかと思っている。そもそも、10幾つを過ぎてからずっと、あまり長生きしたくなかった、子供を産む気もないし、そもそも誰かにとって大きな価値のある存在でもない、誰かの唯一でもない。もう20年近く生きたのだから、もう、この人生も何もかも、誰かのための継ぎ接ぎだとなんとなくわかって(実感して)いる。自分の未来が見えないこと、未来を見ないことをまるで悪いことのように言われて、悪化した部分もあるかもしれないけれど。
美しい花じゃないから生き残ったのだと思いながら死ぬのは惨めだ、誰からも愛される資格のない状態にまで歩みを進めたこと、最初に得たものがあまりにも大きかったこと、なにもかもが見苦しさの理由になっている。
いつかみんな大丈夫じゃなくなったらいいのに。そしたらちょっとだけでもこんなバケモノを殺さずにいようと思ってくれるかもしれない。誰かを傷つけた加害者を「遠い誰か」だと思ったことがない、自分に似た誰かだと思う。対岸のような顔をしているけれど、実はすぐ隣の人間なのだ。そうじゃないように装うために知識をつけて、社会一般の人間の一種に擬態して生きている。わたしはふつうのにんげんですよ、と読み上げるように。みんなそうやって生きてると思ってた。だからこんなに生きにくくて、もどかしくて苦しいのだと。もしそうじゃないならこんなに辛いのは自分のせいじゃないか。
あの子みたいになりたかった、儚くて聡いあの子みたいに。笑って全てを乗り越えた顔をしてられるあの子に。そう思ってから、馬鹿馬鹿しいと思った。僕みたいな奴がたくさんいるなら、あの子みたいになれば誰かに関心をもらえるのではないかなんて。
関心を愛だと思おうとすること、試し行動。抜け出せない疑心暗鬼とか、好きな歌手が誰かとか、君は私の手を握るのかどうかとか、そういうこと、全部本当はすごく気にしているのに、まるであっけらかんと笑うことが正しいみたいに思えて、根拠もないのに笑っている、
自分がいちばんめに大丈夫じゃなくなっただけ、君もあの子もいつかみんな、大丈夫じゃなくなるはず、そう信じて生きてる。自分はどこも、おかしくなんてない。