なんもわかってなくていいよ

 そこそこに自己肯定ができる人間はすごいと思う。養育環境も親も良くて、自身もしっかりしてたんだね、とか思うし拍手したくなる。嫌味ゼロで。

 

 養育環境も親も、別に特別悪くはないけど、本人がオワコンみたいなもんだから、自分自身の価値を見出せないまま20年くらい生きてる。正しい自己認識ができないのに、他者と関係構築ができるわけがない、とか言わなくてもわかるよね?どう考えても自分自身にしか問題が見当たらないのに、必死で親や環境に責任を押し付けようとしている自分を俯瞰的にみて、はやく死んだらいいのにと思う。

 成績を取れないなら価値がないと思うのは、誰も信じられないからだし、教員は100%俺のことが嫌い。他人からの愛情は上辺でしかなくて、好意は少し連絡が途絶えれば消滅。いっそ誰かに無理やり病院に連れて行ってほしいし、本とCDに囲まれてあまり人と会わずに生きていたい。成績を重視せずに大学生活を送っている全ての人間を心から尊敬している。自分にはできないから。

 じゃあだから勉強してますか?と聞かれたら、そんなこともなくて、惰性の中で生きています。課題も出していないし、本の貸し出し期限を守ることもできない、勉強は好きなのに、頭が悪くなったのかなんなのかはわからないけれど、手につかなくて頭も回らない。ずっとモヤのかかった頭の中で無理やり物事を回している。憧れのあのひとは夢を追いかけながら勉強もしっかりしていたのにな、どうしてこんなにダメなんだろう。解決策を講じても、継続しないから何も変わらない。

 

 一般的に言う自傷行為をやめたのは、バイト先で半袖を着るからで、それ以上でもそれ以下でもない。爪噛みはやめられないし、ささくれを抜いて血が出るまで穿ることもある。最近は輪ゴムを腕で打つことでなんとなく気を紛らわせたりもしている。過食も酷いから気がついたら炊飯器の中にあったはずのお米がない。日曜日に昼過ぎまで寝て、なにもできないまま月曜日を迎える。コンクリの壁に腕を打ち付けたりもする。死んだ方がマシな生活。救いのある日々を送っているすべての人間が羨ましい。誰か殺してほしい。悔いもクソもないんだよ、なんかもうずっと疲れてる。本当に勉強したいのは、これじゃないのになと思いながら、それも必要なステップだからねと続けている。ボロが出てきたけれど。

 

「もっとゆっくり生きなさい」と社会学部の先生に言われた。ゆっくり生きれるほど余裕のある暮らしじゃないですよ。余裕がないの、ずっと不安で、手からこぼれ落ちるたくさんのものへの罪悪感や惜しさが、全部自分が頑張らなかったせいになるのが嫌だ。悲しい、こんなふうに生きたいわけじゃないのに。大学院に行きたいとずっと言っているけれど、本当は大学も大学院も向いてないし、就職も向いてないし、死ぬしかないなぁ。未来がないなぁ、死ぬなら誰かの為になる方法で死にたいなぁ、とばかり考えている。

 

 親に処方された睡眠を促す薬は、多量摂取しても死ねなさそうだった。バファリンを8錠飲んでダメになった日のことを思い出す。服薬自死は難しいのかもね、今のままじゃね。

 友達がいない、と言う言葉を許してほしい。信じたいし託したいのに、それが怖いんだよ。

 

 なんもわかってくれなくていいから、とりあえず手を繋いで、ハグしてくれたら助かる。他は全部、結局無理して勉強して、音楽聴いて、みみず腫れ作って乗り越えてヘラヘラするしかないんだから。

 

2:58だから許してほしいな。